理由は息子なのです - その3

息子が1歳になるまでは、体がとても弱く、呼吸器系も不安定でした。生まれてから2か月の間保育器に入っており、人口呼吸器につながれていたからです。25 週で生まれ、体重は900グラムでした。3か月になるまで新生児集中治療室にいました。1歳になる前に細気管支炎にかかり、これが原因でのちに喘息になり ました。

息 子は1歳を過ぎて保育園に通い始めました。妻はまだ大学で研究中でした。言語の発達に関して、保育園に通うことは彼にとって大きな挑戦でありチャンスでも ありました。家庭では英語、保育園では100%日本語でしたから、一つの言語ではなく、二つの言語と関わらねばならないことは、大きな挑戦でした。一方、 物心がつかないうちに2か国語を学べるチャンスでもあったのです。

3 歳の頃は、文章を話す事が出来ませんでした。単語ひとつか二つを言うのみでした。例えば、「あのおもちゃが欲しい」ではなく、「おもちゃ」だけでした。彼 に何かを質問すると、その質問を繰り返すだけでした。私は、どうしたら彼から答えを得られるか、考えるようになりました。彼がもっと早く言語を習得するに は、助けが必要だと思うようになりました。

そ こで、私がとった方法はモデリングです。”Do you want this toy?”と彼に聞くと、彼は”Do you want this toy?”と繰り返します。そこで、”Do you want this toy? Yes or No?”と聞きます。彼は、”Yes”と返すようになりました。

私 が文章を言い、彼はその文章を繰り返す、これを何回もやりました。ゲームのように繰り返しました。息子はこれが大好きでした。ある休日、息子を自転車の後 ろに乗せてサイクリングに出かけました。1時間ぐらいサイクリングしました。彼が疲れてうとうとし始めるまで一緒に”repeat after me”ゲームをしました。眠ってしまうと自転車から落ちてしまいます。家に着くまで眠らせないために、手を尽くして”repeat after me”ゲームを続けました。彼を眠らせずに沢山の文章を言うわせることに成功したのです。

5 歳の頃、保育園の園長先生から連絡がありました。妻と二人で来てほしいというのです。園長先生は息子の言語能力を心配していました。先生や友達ときちんと コミュニケーションできるように、家庭で日本語を教えてほしいと言われました。その頃私は、彼には日本語を教える必要はなく、英語を教える必要があると認 識していました。適当な年齢に達したら、彼は自然に日本語を理解するようになるだろうと思っていたからです。そして、私の予想は当たっていました。

家庭では、彼の英語は日に日に上達していきました。完全な文章を言えるようになり、質問にも答えらえるようになりました。

あ る日、友人からの紹介されたカナダ人の児童臨床心理学の先生の診察を受けに横浜へ行きました。息子に英語で話しかけてくれる専門の先生に診てもらいたかっ たからです。先生は、息子の言語の発達は遅れており、言語療法士にかかること、かつ、一つの言語のみで生活できる環境で育てるべきだと言いました。私は、 彼がおかれた環境を克服して、2か国語を学べる方法を見つけようと決意しました。

その頃私は、ダウン症の子ども達の英語のクラスを担当していました。これを臨床心理の先生に伝えると、ダウン症の子どもへ英語を教えるなんて例は聞いたことが無いと言われました。

私の目標は、子どもが置かれたどんな状況にもかかわらず、言語、その他の必要な能力を子ども達に効果的に教える方法を見つけることでした。時間がたつにつれ、息子に効果のある方法が分かってきました。

次回もお楽しみに。

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